バイク 用品 パーツ 株式会社山城
 
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  山城は「必要とされる」中間業者になる

「実はね、私バイクの運転がダメなんですよ。創業者でもある父がバイクで大怪我をしたことから、乗らせてもらえなかったんです。なので、もっぱら四輪の世界で生きてきました」。そう切り出した小川喜康 社長は大手自動車メーカーのデザインチームを引っ張ってきた経験を生かしながら、先代から受け継いできた信用の上に大きな夢を描こうとしている。

株式会社山城は昭和26年、小型自動車、二輪車の部品・用品の卸販売会社として設立。今年で創業56年を迎える。スズキ、カワサキの、全国にそれぞれ3社しかない純正部品・用品の総代理店の一つとして業界内でも高い評価を得ている。一方、オートバイに関した様々な用品・部品の総合卸商社として、全国に展開している日本でも有数の企業だ。

「卸という業種にもいろいろあって、『一次卸』といわれるメーカー様サイドに立って仕事をする卸と、お客様よりに立つ『2次卸』という、大きくこの2つに分けられます。山城はその両方の要素を持った『セレクトショップ』を目指したいと思っています」と小川社長は山城の将来の姿を語った。
「『問屋って必要?』という流れがあった一時期は、危機感からオリジナルのブランドも立ち上げてみました。ただ、今は“問屋という商売を幹に”、補完的要素としてのオリジナルブランドという幅広いニーズに応えていきたいと考えています。そうした動きが、他の問屋さんとの大きな差別化になりますし、先代の時代から支えて頂いたお客様への恩返しだと思っています」

小川社長の言うように、産業界には「中間業種不要論」が渦巻いた一時期がある。いわゆるメーカーとユーザーがダイレクトで繋がることによってコストダウンを実現し、かつユーザーニーズをダイレクトにマーケティングに生かしていくことが重要といわれた時代だ。
確かに、単に商品を右から左に流すことによる手数料をビジネスにする旧態依然とした「中間業者」は淘汰されつつある。
しかし、ここにきて様々な意味で「中間業者必要論」が浮上してきてもいる。メーカーとユーザーの双方を熟知した上で、付加価値の高いサービスを提案できる会社の存在が重要視されてきているのだ。小川社長の先の発言は、そうしたビジネスの大きな流れを無意識のうちに、現場の中から会得したものだろう。

  クリエイティブなサービスを創る人材
  しかし、小川社長はそうした構想をどのように実現しようとしているのだろうか。平均年齢34歳、社員総数85人の山城が、どのようにして大きな時代の潮流を掴もうとしているのだろうか。
小川社長ははっきり「そうしたビジネスをお客様に提供するのは『人』です」と言い切った。デザイナーの出身者らしく、「クリエイティブな人」がこれからの山城には絶対不可欠であると表現した。

「ただ、今までの手法や発想の流れの中だけで仕事をするのではなく、常に新しい方向性を見つけられる人。そういう人が今の山城に必要なクリエイティブな人材像です。クリエイティビティある人が、お客様に喜んで頂ける仕事を提供できるのだと思いますし、そうしたお客様の喜びをクリエイトすることが私たちの仕事だと思います。私たちの会社は、やりたいことがあれば努力しだいで出来る素地はある。若いうちから責任ある仕事も経験できる環境は整えてあるつもりです」

また、こうした人材を求めるだけではなく、人を作る体制にもしっかりとした戦術をもって臨んでいる。
小川社長はお客様に提供するビジネスそのものの質を高めるために、アウトソーシシングすることも躊躇していない。協力会社とコラボレーションすることで、スペシャリストとのつきあいを増やし、それを社内に還元し、山城としてのクリエイティブ性を伸ばしたいと言う。社内で出来ることは山城として現場の知識に加えてSEの知識を持ってもらうなど、内部的専門性、質の高さも考えている。

「ここ2−3年は自分がやってきたことが間違えではなかったという自信もついてきましたが、まだ『試行錯誤』の途中ともいえます。長い歴史を持つ同業者のなかには、リストラや得意分野に特化するなどして、守りに入っている会社も少なくはありません。ただ私は、小さく、効率よくまとめるだけがすべてではなく、これからも少しずつでも大きくなる努力はしたい。その過程を一緒に歩んでくれる人が欲しいと思うのです」
  小川社長の原点
  こうした洗練された時代感覚はどこで磨かれたのだろうか。
実は、小川社長は大手自動車会社のデザイナーとして活躍していた。先代の社長である父親の意向もあって、バイクには乗せてもらえなかったため、自然に四輪車に関心が行くようになったとういう。16-18歳には自動車レースやラリーに関心をもち、次第に自動車を構成する色々な要素が気になり出す。そして、デザインへ興味が広がって行った。学校も自動車のデザイン部門に確実に入れる大学を選び、「計画通りに」自動車メーカーのデザイン部門に就職した。その会社で、世界的名車ともいわれる自動車のデザインを手がけることになる。

しかし、大手企業の常として、定期的な人事異動は必ず訪れる。小川社長にもそのタイミングはやってきた。チーフデザイナーとして30歳を迎え、このままでいいのかと思い始めてもいたころ、デザイナー職からカラーテキスタイル部門へ異動になり、シートの布地等を扱うことになったのだ。ここでの4年間が小川社長のビジネス感覚を大きく成長させることになった。

「今までは、社内デザイン、社内プレゼンといった社内で終わっていた仕事が、外部の業者との仕事をもって社会の仕組みがわかるようになりました。納期や現場作業など、デザイナー職時代にはわからないことばかりでした。また、必死に仕事をする業者の姿を見て『世の中はデザインがいいものが売れるわけではない』など、とにかく今までは知らない営業の世界を見ることができたのです。営業力、営業スタッフの大切さを肌で感じた4年間でした。」


(インタビュー:高木佳子 文:海野流行)